書きたいときに、書けばいい。

なるべく建設的なことを書きたい。

大学の斡旋で気仙沼市の尾崎という所にボランティアに行ってきましたのでそのレポート。

もう帰ってから一週間以上も経つのですが、宮城県気仙沼市にある尾崎という所でちょっとしたボランティアをしていました。

被災地のボランティア、と聞けば瓦礫の撤去などを思い浮かべる人も多いかもしれませんが、
私が行ったのはボランティアとも研究のお手伝いともとれる活動でした。 
尾崎(「おさき」と読みます)という集落に住んでいる(または住んでいた)人々に、
集落の歴史を聞き取り、それを書き起こして記録する、という活動です。

というのも、津波によって壊滅的な被害にあった尾崎は、
住民の高齢化と言った問題も関係して、コミュニティ崩壊の危機に瀕しているのです。
そこで人々が生活を営んでいた証を少しでも残すため、尾崎の人々に集落の歴史を尋ねていました。 
と言っても、私が聞き取りに関われたのはほんのわずかな人たちですが。。。

そして本日は、大学からボランティア後の宿題(というとなんだかボランティアっぽくない気もしますが。。。)として、
簡単なレポートを書いたので、折角なのでこのブログにも載せようと思い、久々に記事を書くことにしました。 
あいにく大学向けに書いたものを少し修正しただけなので口調も堅苦しいし分かりにくい箇所もあるかもしれませんが、
どうか尾崎の現状を少しでも知っていただけたらと思うので、転載します。
(個人情報に関わる部分など若干の修正はあります)

以下がそのレポートです。


活動を通して感じたこと

活動を通して感じたことは、大きく二つある。 一つは、尾崎というコミュニティの再生が、ほとんど絶望的な状況にある、ということである。 例えばインタビューに協力していただいた、尾崎の有力者達 ─いずれもお年を召していらしたのだが─ は、仕事や土地の後継者もなく、 尾崎の未来に対して諦めともとれる発言をしていた。 尾崎の自治会町を務めたこともある某氏は、 新しい町作りに対する具体的なビジョンも持たず、 「新しい尾崎を作る上で忘れちゃいけないものはないか」と尋ねても、 「若い人から聞いてくれ」と答えるばかりであった。 また、現役の自治会長である尾形修也さんでさえも、 毎日新聞宮城県版1において、 「使いたくない言葉だが『分散会』としてでも、 またみんなで集まりたいな。春になったら花見でもしよう」 と話していることから、尾崎のコミュニティの人々と再び生活することを諦め、 コミュニティが分散してからでも絆を保つ方法を模索しているようである。

もう一つは、尾崎の人々の繋がりが強く、それによって栄えていたことである。 前述の某氏もおっしゃるように、仕事を初め日常生活はもちろんのこと、 選挙や運動会、大名行列と言ったイベントにおいても、その団結力は大いに生かされたという。

それで、仕事するにもお互いに良い意味でのライバル意識があって。 それから、運動会などでも、みんな一生懸命になってやったから、よその部落から見るとね。 何て言うんだろう、良く思われない面もあったんだよね。 選挙などでも、非常に良く団結して、緊密な協力を頂いたって感じだったね。 それで、我々のところからリーダーシップの強い人が輩出されてね。

このような強い絆を持っていたからこそ、 コミュニティが崩壊し住民が四散してしまうことに対する悲しみは一入なのであろう。

疑問に感じたこと

疑問、というより単なる大学への文句なので省略。

これからの尾崎について

最後に、これからの尾崎地区について自分なりの考えを述べる。 本レポートでは前述の尾崎自治会長の発言を踏まえ、 尾崎というコミュニティが崩壊してしまった場合、 どのように過去の尾崎の姿を保存するか、という問題についてアイディア述べる。 それは、尾崎の歴史を伝える史料館を設けるということである。 この史料館は、尾崎に住んでいる人々の生の声や尾崎の文化を、動画や音声として収めたり、 尾崎で起きていたことを、未来に向けた反省材料として生かすためのものである。 以下でその詳細を述べる。

この史料館は、前述の通り、尾崎に住んでいる人々の生き生きとした姿を、 動画として保存するためのものである。 ただしここでは、単に保存して公開するという方法ではなく、 現代のネットワーク技術を駆使した、 よりリアルな形で尾崎の人々のメッセージを再生できる方法を提案する。 それは、スマートフォンに内蔵されているGPSを利用している。 GPSを内蔵したスマートフォンを所持しながら、 尾崎の中の特定の位置に行って専用のアプリケーションを起動2すると、 あらかじめどこかのサーバーに保存されている、 尾崎の人々のその場所に関する解説動画などが、スマートフォンに配信される、という仕組みである。 もちろん解説動画などを配信するサーバーは、尾崎どころか、宮城県にある必要さえない。 つまり私の言う「尾崎の歴史を伝える史料館」とは、インターネット上のバーチャルな存在なのである。 ゆえに私は前の段落で建設とはいわず、より抽象的な「設ける」という表現を選んだ。 このような方法をとることにより、物理的な史料館を建設するよりも低コストで、 かつ「尾崎」という場所に根差した形での、歴史の展示が可能となるのである。

実はこのような仕組みは、既にいくつか実装されている。 その最も有名なものが「セカイカメラhttp://sekaicamera.com/)」である。 「セカイカメラ」とは、 「スマートフォンを「かざす」だけで、 「その場所」「その時」に対応した情報をインターネットから取得し、 カメラが映し出す現実空間にオーバーレイして表示3」する仕組みである。 利用者は様々な情報を「その時その場に」記録することで、 セカイカメラを使ってスマートフォンをその場所にかざした他のユーザーと、 その情報を共有できるのである。 詳しくは紹介したURLのウェブページをご覧いただきたい。 このセカイカメラは、情報を読み書きするアプリケーションも、 それを保存するサーバーも既に構築されているものを用いることができるため、 尾崎の人々からお話を伺って記録する、 という手間を除けば実質無料で記録・配信ができる、という大きなメリットを持つ。 ただしセカイカメラには今のところ動画も音声も記録できないため、 本レポートで述べたような史料館をそのまま実現するには至らないであろう。 もう一つは、 「相田みつを美術館位置連動型美術館ガイド 『DaMoNo(だ・も・の)』」 というシステムである。 これは「iPhone/iPod touch を利用して、 お客様の館内位置にあわせて作品解説を提供する位置連動型美術館ガイド4」である。 こちらも詳細は紹介したURLのウェブページを参照していただきたい。

以上、今後尾崎地区をどうするか、という問題について、 コミュニティの崩壊に備えてバーチャルな史料館を作ろう、というアイディアを述べた。 もちろんこれを実現するには、当事者である尾崎地区の住民はもちろん、 記録を行うボランティアの、強い希望が必要であろう。 こうしたアイディアを述べておきながら、 私自身に実現する意志も時間的な余裕もないのが悩ましいものである。

  1. 毎日新聞 宮城県版 2012年3月13日 「東日本大震災気仙沼・尾崎地区の自治会、失われた記念誌復刊へ 地区の歴史忘れず」 http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120313ddlk04040154000c.html

  2. 専用のアプリケーションを起動させる、という利用者による情報プルではなく、利用者がアプリケーションをインストールした状態で特定の場所に到達すると解説音声が電話のように配信される、という情報プッシュによる方法も考えられる。

  3. http://support.sekaicamera.com/ja/service より引用。3月28日23時37分時点。

  4. http://www.koozyt.com/solutions/amp/damono/ より引用。3月29日0時32分時点。